年中行事

俊乗忌(しゅんじょうき) 東大寺

7月5日 8時~
東大寺俊乗堂

再建のために大勧進職として超人的な働きをしたのが俊乗房重源

「俊乗忌」は、鎌倉時代に「造東大寺大勧進」として大仏殿をはじめ東大寺の伽藍を復興され、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えられた俊乗房重源上人の御忌にあたる法要。

源平合戦のさなかの治承4年(1180)、平重衡の軍勢が南都(奈良は北の京都に対して「南都」と呼ばれる)を攻めたが、その兵火のために、東大寺、興福寺をはじめとする南都の寺院のほとんどが焼失してしまった。

東大寺の大仏殿は、二階に逃げ込んでいた1700人にも及ぶ人々とともに焼け落ち、大仏さまも見る影もなく損壊する惨状となった。

翌養和元年(1181)8月、朝廷から「造東大寺大勧進職」に任ぜられた重源は、諸国を勧進して寄進を募るとともに、源頼朝公らの協力を得、宋人陳和卿(ちんなけい)らをもちいるなどして大仏さまを修復・鋳造し、文治元年(1185)には後白河法皇を導師として大仏さまの開眼供養を行なった。

大仏殿・南大門をはじめとする東大寺伽藍の復興は、用材を周防国(今の山口県)から運ぶなど困難を極めたが、建久6年(1195)には源頼朝公の参列を得て大仏殿落慶供養を、また建仁3年(1203)には後鳥羽上皇の行幸を仰いで東大寺総供養を行なうことができた。
「俊乗忌」の法要が行なわれるお堂は「俊乗堂」という。ここは鎌倉時代初期に重源上人によって創建された浄土堂があったところで、現在の俊乗堂は、浄土堂が永録10年(1567年)の兵火で類焼した後、元禄年間に公慶上人が重源上人の功をたたえ菩提を祈るためにここに建てたもの。本尊として重源上人坐像(国宝)が安置され、阿弥陀如来立像(釘打の弥陀、快慶作・重文)、愛染明王像(重文)が安置されている。

→俊乗堂の場所はこちら境内案内図

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