東大寺の歴史

東大寺トップページ > 東大寺の歴史 鎌倉期再建

東大寺のあゆみ

鎌倉期再建 -重源上人の働き-

平安時代の東大寺

平安時代にも修理と造営は絶え間無く続けられているが、斉衡二年(855)の大地震によって落下した大仏の頭部は、真如法親王によって修復されたものの、失火や落雷などによって講堂や三面僧房、西塔などが焼失、南大門や大鐘楼も倒壊した。

重源上人像 画像
重源上人像

治承の兵火と鎌倉復興

しかも治承四年(1180)に、平 重衡の軍勢により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失した。しかし翌年には、大勧進に任命された俊乗房重源によって復興事業が着手され、鎌倉幕府、特に源頼朝の全面協力を得て、文治元年(1185)に後白河法皇を導師として「大仏開眼供養」が行なわれた。

重源自身が当時の中国から移入した最新の建築様式大仏様(だいぶつよう)の代表建築である南大門が威容を誇り、運慶・快慶ら慶派仏師集団の造像になる仁王像は、近年解体修理を受け、堂々たる姿を今に伝える。

翌、文治二年に周防国が東大寺造営料所に当てられてから復興事業は着々と進み、建久六年(1195)に「大仏殿落慶供養」が営まれ、東塔も13世紀前半に完成した。こうした復興に伴い、教学活動も活発になり鎌倉時代にも多くの学僧が輩出した。

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