「天平勝宝三年辛卯十月、実忠和尚(じっちゅうかしょう)、笠置寺の龍穴より入て、北へ一里ばかりを過(す)ぐるに、都率(とそつ)の内院なりけり。四十九院、摩尼宝殿を巡礼す。其内、諸天衆(てんじゅう)集て、十一面悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)する所あり。常念観音院と云う。聖衆の行法(ぎょうぼう)を拝して、此の行(ぎょう)を人中に摸して行うべき由(よし)を伺(うかがう)。聖衆告(つげ)て曰(いわ)く。此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然(しから)ば行法の軌則(きそく)、巍々(ぎぎ)として千返(せんべん)の行道(ぎょうどう)懈(おこた)らず。人中の短促(たんそく)の所にては更(さら)に修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、いかでか人間すべからく摸すべきと云う。和尚重て申(もうさ)く。勤行(ごんぎょう)の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。誠を致(いたし)て勧請(かんじょう)せば、生身何ぞ成給はざらんとて、是を伝えて帰りぬ。」