南大門
Nandai-mon (Great South Gate)
国宝 鎌倉時代
●なんだいもん
東大寺の正門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒れた。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が、新たに宋様式を採り入れた大仏様(だいぶつよう)によって再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する金剛力士(仁王)像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は19.058mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大級の重層門である。
南大門金剛力士(仁王)像
国宝 鎌倉時代
●こんごうりきしぞう
“東大寺の仁王さん”の名のもとに親しまれている南大門金剛力士像は、鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に運慶や快慶ら仏師たちによってわずか69日間で造像された巨大像である。像高はいずれも8.4m弱ある。
平重衡による治承4年(1180)の南都焼き打ちのあと、重源上人が朝廷や源頼朝らの協力を得て東大寺を再建したが、南大門はこの復興事業のほぼ最後に当たる建物で、金剛力士像はこの門に納めるために、重源上人がとくに念願して造らせたものである。以来、ほとんど修理されることがなく損傷が激しいために、昭和63年から平成5年にかけ、5カ年の歳月を要して修理された。この間、2体の金剛力士像の躰内から重源上人や仏師たちの名前が記された『宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)』など、経巻や文書、それにおびただしい墨書銘が発見された。これらによって大仏師には運慶・快慶のほか定覚と湛慶が加わっていたこと、建仁3年7月24日に造像の事始(ことはじめ)をしたあと、早くも8月7日には阿形像が南大門で立ち上がり、8月8日には南大門東脇で書写された『宝篋印陀羅尼経』が吽形像の胸中に打ち付けられるというように、2体が同時進行で造像されたこと、用材は記録の通り山口県から運ばれてきたことなど、造像の詳細が解明され、仏教美術史上貴重な事実を知ることができた。